和食・日本酒を味わう
趣のある古い街並みを歩く
ローカルの信仰と暮らしを訪ねる
仏像・建築・伝統工芸品の迫力を感じる
精神性と格式の重みを体験する
美食のエンターテイメントを堪能する
旧角海家住宅は、北前船の船主や船員が居住する集落として栄えた黒島地区に所在する。 北前船では当時一回の航海、で現在の価値にすると1億円余りの利益をもたらすほどの取引が行われていたとされ、海運が交易の主軸だった当時を語る上で、貴重な現存する史料でもある。 現在の屋敷構えは19世紀末(1871年)の大火後に順次整えられたと・・・
上時国家は、中世(12~16世紀)以来、奥能登地方に強大な勢力を誇った旧家である。大規模な農地開発や北前船による日本海沿岸交易など多角経営をしている。近世(17~19世紀)には奥能登にあった幕府領(当時の日本を統括する政府)の大庄屋をつとめた。 上時国家住宅は、19世紀中頃(1831年頃)、町野川流域より現在の高台に屋・・・
時国家の始まりは1185年に能登に配流された平時忠(12世紀末の公家)による。子の時国は農民として身を立て、やがて豪農として隆盛します。1634年、政治的背景から時保(13代目)は、時国家を幕府領(当時の日本を統括する政府)の上時国家と、加賀藩領(当時の地域を治める地方政府)時国家の2家に分立し、当人は加賀藩領を拠点と・・・
奈良井宿は中山道六十九次(なかせんどうろくじゅうきゅうつぎ)中34番目に位置する、中山道(なかせんどう)のちょうど真ん中の宿場町です。宿場では、通常は檜物細工、塗物、塗櫛などの木工業を主とする生業が行われ、大名行列などの大通行の際には、臨時的に宿泊や休息などの旅籠としての責務を果たしていました。木曽(きそ)11宿の中で・・・
木曾平沢は、江戸幕府により整備された中山道沿線にあり、隣接する「奈良井宿」の枝郷として形成された集落です。江戸時代より日常什器を主とした漆器業で繁栄し、明治期以降も本堅地漆器の製造技術を導入するなど、技術革新によって成長してきました。昭和50年(1975)には「木曽漆器(きそしっき)」が経済産業大臣指定伝統的工芸品に指・・・
旧中村家住宅は奈良井宿において塗櫛(ぬりぐし)問屋を営んでいた建物で、建築年代は天保14年(1843)頃とされています。主屋は、片側に表から裏に抜ける「土間」を通し、土間に沿って居室を一列に並べた間取りを持つ、奈良井宿の典型的な町家造りの家で、表構の意匠などもこの地方特有の建築形態をよく伝えています。また、主屋の背後に・・・
手塚家住宅は天保11年(1840)に建てられた建物です。宿駅には幕府の役人や諸大名・その他の旅行者用のために、幕府の定めた一定数の伝馬(てんま・宿駅用の馬)と歩行役(人足)とを定備しておき、旅行者の需に応じていました。これを宿駅制度(宿場・伝馬制度)といいます。木曽11宿には1宿につき25人の歩行役と25疋の伝馬を用意・・・